伝統工芸 江戸切子

江戸切子の特徴

江戸切子は江戸末期に生産が始まりました。江戸切子はもともと、透明なガラス(透きガラス)に、
切子細工を施し、手摺りと磨きで仕上げていく硝子細工でした。
明治期以降は、薩摩切子の消滅もあって江戸においても色被せ(いろきせ)の技法・素材も用いられるようになるが、
色ガラスの層は薄く鮮やかなのが特徴です。
加工法も従来の文様を受け継ぎながら、手摺りからホイールを用いたものに移行していきました。
現在では、当初からの素材であるクリスタルガラス等の透明なガラス(透きガラス)よりも、色被せガラスを素材に用いたものが切子らしいイメージとして捉えられ、多く生産されています。


江戸切子の伝統分用文様

矢来文様
(やらい-もんよう)

矢来を思わせる斜線を等間隔に入れた文様です。江戸切子の文様の中で最も基本となるものです。

魚子文様
(ななこ-もんよう)

カット面の輝きが魚の鱗を思わせる所から名付けられました。矢来文様を細かくしたものです。

笹の葉文様
(ささのは-もんよう)

根強く生命力に溢れ、風雪寒暖に負けないしなやかな強さを持つ笹葉をモチーフにした文様です。


八角篭目文様
(はっかくかごめ-もんよう)

竹かごをモチーフにした文様です。連続した篭目紋には魔よけの効果があると言われています。

菊繋ぎ文様
(きくつなぎ-もんよう)

縦・横・斜めの長い直線を組み合わせるだけで、菊の花が連続している様子を表現しています。

菊篭目文様
(きくかごめ-もんよう)

菊繋ぎと八角篭目を組み合わせた文様です。非常に高い技術が必要とされます。


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江戸切子の歴史

江戸切子の始まりは、江戸時代後期に江戸大伝馬町のビードロ屋、
加賀屋久兵衛が硝子に切子細工を施したのが始まりと言われています。
当時は、透明な鉛ガラス(透きガラス)に、鑢の金棒と金剛砂によって切子細工を施し、
木の棒と金剛砂で磨きあげる、熟練した手作業により製作されていました。
江戸切子は庶民の手によって、その採算の枠の中で製作されたものであり、
薩摩藩主島津斉彬の手厚い保護のもとに、藩の事業として製作された薩摩切子とは背景、製法ともに異なります。

島津斉彬の死(1658)と薩英戦争(1863)の戦火によりわずが20年でその歴史を閉ざした薩摩切子とは対象的に、江戸切子は明治維新の政策的改革の影響も受けなかったばかりか、明治初期に 政府が欧米の文物の導入に積極的な政策を打ち出したため、ヨーロッパの新しい技法を導入していくことになります。
その結果、江戸時代の切子の伝統は絶えることなく、近代工業の要素を取り入れながら今日まで長く存続してきました。

江戸切子は薩摩切子と違い、その歴史から震災・戦災ほか幾多の困難を経ても絶えることなく、その文様や用途も身近な庶民の暮らしと共に発展していったことから、「庶民の育てた文化」とも言われます。

薩摩切子とは

薩摩切子とは、江戸切子と同じ頃、薩摩藩主島津斉彬(1809~58)の手厚い保護のもとに、
藩の事業として製作されたもので、当時としては最高の研究と開発の結果出来た美術工芸品でした。
厚い色ガラスを重ねた色被せ(いろきせ)ガラスを用いて、深いカットと大胆な形が特徴です。
斉彬の死と薩英戦争による戦火のために薩摩切子は消滅していきます。
薩摩切子は昭和60年に、 地元の強い要望により復活し、現在に至ります。

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